リーダーのコミュニケーション能力とは?

今日はリーダーのコミュニケーション能力とはなんぞや、ということに触れます。

コミュニケーションとは立場によっていろいろな意味があってわかりにくいと思いますね。

企業が学生に求める資質として「コミュニケーション能力」をあげていますが、どうでしょうかねえ。

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先日も経団連の調査でトップに上がっていました。

けれども、この調査どんな意味があるのか、私にはよくわかりません。

なぜならば、コミュニケーション能力とは何を指すかがはっきりしない質問調査だからです。

あるサイトでは、3つくらいの意味があるというのです。

①ホウレンソウ上手
どちらかというと古い会社に多い。これを重視する企業では、組織の忠実な歯車としての役割が期待されているはず。

②調整能力
根回しとか人付き合いとか、そういった日本的な言葉で語られるものだ。

③表現力

1は企業に入ってから教えればいいことだろうし、2は仕事を通じて学ぶことでしょう。

ならば、学生には3の表現力を求めているのでしょうか?

学生の言葉と社会人の言葉は違います。

ということで、私はどれもあまり意味がないような気がします。社会に出てから勉強すれば十分じゃないかと。

私は人事担当者ではないので、あまりわからないことですけどねえ。

いまは私の就職時代と比べて、難しい時代なんでしょうかね。

さて、このブログで扱うリーダーのコミュニケーション能力とは、上のどれでもありません。

リーダーとして部下を成長させ、部下のやる気を高め、チームの運営をスムーズに行うためのスキルを扱います。

より具体的に言えば、モチベーションアップの会話、説得の技術、認め方の技術、しかり方の技術、暗示の技術などといったものです。

言い替えると、リーダーシップを発揮させるため道具の提供ということでしょう。

ここでいうリーダーシップとは、リーダーの考えを上手に部下に伝えることで、部下が気持ちよくやる気を持って仕事ができるようにする能力ということです。

言葉に頼るコミュニケーションの弊害

ある人が、対人コミュニケーションの講座に参加して、人に好印象を与える話し方やしぐさ等を学びました。

ところが、よく考えてみたら、もしかして職場の同僚や友人も対人用のしゃべり方をしているのではないか。そう思ったら、疑心暗鬼になったそうです。

これについては、いろいろな対策が考えられます。このブログはリーダーが対象ですので、この人がリーダーだったらという仮定ですが、まずリーダーの立場をしっかり保たないといけません。

リーダーとして、何のためにコミュニケーションするか、ということです。言うまでもなく、部下の育成、仕事のスムーズな進展といったことでしょう。そういう立場をしっかりもたないと、こういうことになりますね。

リーダーの立場を保つことについては、別の日に扱いましょう。

さて、もうひとつ考えるべきは、言葉に頼る弊害です。

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人間はどうしても言葉を信じすぎてしまいます。

それを補う方法を考えないといけません。

さもなければ、私たちはいつも政治家に欺されてしまいます。仙石とか枝野とかにね。

ここで、注目すべきは異常行動についてです。異常行動というのは、常ならぬ行動という意味であり、病的な意味ではありません。

拙著『リーダーの暗示学』から題材をとりました。

ある外資系の製薬会社にプレゼンテーションを行なったとき、私は「(輸入)薬の値段を決めるとき、円・ドル換算価格を円安方向に役所が決めたのはラッキーだった」と言ったのである。

ところが、プレゼンテーションで私の言葉を聞いていた担当者からあとで呼び出され、えらく怒られた。

「薬の値段がわが社に有利になるように、自分は役所と交渉しているのだ。その結果、円安方向に決まったのだ。それをラッキーとは何事だ」

たしかに言われてみれば、そういう努力が陰でなされていたことを知らなかった自分は未熟であった。そういう意味では、これはよい勉強になった。

しかし、彼の行為は、私にまた別の推理をさせた。もし、社内で自分の仕事が十分に理解されていると信じている人間ならば、たとえ「ラッキーだった」と言われても、「社内の事情をよく知らない外部の若造の言うことだ」と、鼻であしらう程度のことだったのではないか。

彼のひどい怒り様は、冷静になって考えてみると少し異常だった。この会社は外資系の会社であったから、日本企業に比べ個人業績の評価が厳しかったのかもしれない。今でこそ日本企業も能力主義になっているが、昔の外資系は厳しかったのである。社内における彼の微妙な立場を、私は垣間見たような気がした。

要するに、常ならぬ行動から相手の真意を見抜くことです。日ごろからそういう感覚を鋭く磨くように意識することですね。

認められたいという欲求が強すぎる人への対策

コミュニケーションにおいては、ほめる技術が基本になると私は思います。そこで、その技術をリーダーには研究していただきたい。

ほめる技術が有効なのは、褒められたい、認められたいという強い欲求が人間にあるからです。

しかし、これが高じると問題を起こします。というのも、ほめられた内容(技術や仕事振り)よりも、「認めてもらう」という点に意識が向いてしまうからです。

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そうなると、自分を高めてよいものをつくろうとするより、相手に好まれそうなことをするものです。

芸術家なら、ごひいきに媚を売るような行動になる。職人なら「いっちょう、オレの腕を見せたれ」となる。

こういった余分なことが入ると、だいたいにおいて作品は二流品になりますね。サラリーマンだって同じことです。

もしあなたが部長ーさんで、認められたいという意識の強い部下(課長)がいたら、第三者を通してほめるとよいでしょう。

たとえば、副部長に「部長が、君のことをほめていたよ」と言わせる。直接部長に面していないので、純粋に技術向上に意識が向くようになります。

相手のことを主観的に判断してしまう罠

我々は何かを判断するとき、客観的な事実を集めようとします。

そこまではいいのです。ただ、それを判断するときにどうしても主観が入ってしまいます。

私はいま自分が書いた『リーダーの暗示学』から、その事例を紹介しようと思いました。あとで、紹介しますが、そのときふと思いました。

私がこれまで取り上げたケースというのがほとんどそうだったのではないかと。

『リーダーの人間行動学』で取り上げた、探検家スコット、乃木希典、ジョルジュ・サンド、空海――彼らの行動はのちの評論家や研究者から間違って理解されている。これについては本をお読みください。

もう、メチャクチャな理解です。

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なぜ、そうなるかというと、評論家自身の価値観でもって、相手の行動を理解しようとしているから。それで間違えてしまう。

空海などは、宗教家や宗教研究家が分析しますから、どうしても宗教という枠で空海の行動を分析する。

全然違うと思います。もっと、人間くさいところに空海の行動理由があったと私は思います。

さて、『リーダーの暗示学』から引用します。このとき、私は実に奇妙だと思ったものです。

イラク戦争の前哨戦である、1990年夏のイラクによるクウェート侵攻のときである。

テレビのコメンテータたちが、戦争が起きるかどうか、持説を論じ合っていた。

戦争が起きると論じる者は、「力の激突は避けられない」と、主張していた。

一方、戦争にはならないとする者は、「世論調査によれば、アメリカは国民の半分以上が戦争に反対している。ブッシュ大統領(先代)が戦争をするはずがない」と主張していた。

話を聞いているうちに、私はおもしろいことに気がついた。

開戦を予想する者は、口角泡を飛ばす、いかにも熱血漢風であった。(捻れ型ということです)

これに対して、避戦予想者は、いかにも学者風の物腰柔らかい人物であった。(上下型のことです)

彼等の持説と態度はとてもよく一致しているように見えた。

もし読者だったら、戦争が起きるか否か、どうやって判断するだろう。

私だったら、こう考える。

と、まあこんな調子で書いておりますが、この先は言わずもがなですよね。

要するにブッシュとフセインの行動基準(感受性)を念頭に推理をしないといけないわけです。誰も評論家さんの感受性を聞いているわけではないんですから。

つまり、「相手の立場に立って、相手の行動基準(感受性)で推理」しないといけないんです。

「相手の立場に立って、自分の行動基準で推理」してもなんにもなりません。でも、みんなこれでひっかかっているんだなあ。

言葉に振り回されないコミュニケーション

コミュニケーションとるときいちばん厄介なのは、相手が本音を言わないときかも知れませんね。

拙著『リーダー感覚』では、ほめる訓練を通して相手の気持ちを理解することを主張しています。

さらにいえば、これによって相手の気配を察知するくらいまでもっていきたい。

気配などというと大げさですが、よく相手の態度を観察していればわりとわかるものです。

よくある間違いは、相手の言葉に振り回されてしまうこと。我々は言葉を信用しずぎてしまう傾向があります。

言葉というのは便利なもので、心で思っていることと正反対なことでもいえます。それによって場を和らげることもできて便利なのですが、相手の本音を見分けにくくもしています。

私も失敗した経験がありますよ。

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ある人の家にお邪魔すると留守だったので、「出直します」と奥様に言ったところ、「すぐ戻りますから、お茶でも」と言われました。

ならばと家に上がろうとすると、奥様はへんな顔をしている。なんだお愛想だったのかとやっとわかりました。

この人は京都の人でしたが、「察せよ」という感じの人が京都には多いのでしょうか。
利なもので、心で思っていることと正反対なことでも言えます。便利な面もありますが、

「京の茶漬け」という落語をご存じ?

京都ではお客さんが帰ろうとして履き物をはいてしまってから、「お茶漬けでも一膳食べておいんなはれ」と言うんだそうです。

まさか「そうどすか」とは言わないことを見込んで言うのだと、京の人の悪口を言う人がいました。

ある大阪商人が、一度あの「京の茶漬け」を食べてやろうと、わざわざ昼時に京都の知人を訪ねていきました。

「何もおへんけど、お茶漬けでも一膳……」

予想どおり、客の帰りがけを狙って言う、例の京都人のカラ世辞がでたあ~。

しめしめと、大阪商人ニンマリ。

「さよか、ほんならよばれましょ」

ところが、出てきたのは、ほんとに冷や飯と梅干し半分の茶漬けだけ。

意地になった大阪商人は、サラサラとかきこんでから、茶碗を宙に浮かしました。これ見よがしですね。「どうぞ、おかわり」の声を待ったわけです。

しかし、京の内儀はなにも言わない。

大阪商人は仕方ないので、茶碗の中がカラなのをなんとか見せつけてやろうと、茶碗をひねくり返しながら言いました。

「けっこうな清水焼ですなあ。たこうおましたやろ」

すると、お内儀はカラのおひつを中まで見えるようにさし上げて

「はぁ、このおひつも輪島塗りですねん」

京都の気風というのは基本的には9種的なんです。裏を察するというところが得意というか、気持ちを察することが強調される気風なんです。

大阪は言うまでもなく商売の地ですから5種も強いのでしょうが、あのうるさい漫才ののりは捻れ型そのものでしょう。とにかくにぎやかですが、あれは捻れ型の特質。

そういう人にはどういう対処が必要か知っていれば、対人関係はずいぶん楽になりますよ。

それはともかく、相手の言葉に惑わされないようにすること。

もっと進んで、「相手が言わない部分を察する」こと、さらに進んで「相手が気がついていないことまで察する」訓練をしていくことが、リーダーシップ向上には役にたちます。

それにはL研リーダースクールで主張している「ほめる訓練」を実践すること。そして、それと並行して、感受性の研究をすることでしょう。

コミュニケーションにおける自尊心の処理

リーダーが指導したり説得をするとき人間について考えるべきことは、

1)ほとんどの人は自分に自信がなく

2)それに反比例するように自尊心が強く

3)そのくせ、あまり努力・勉強しない

ということでしょう。

ですから、まず自信をもたせる。そのためには、ほめることが必要ですし、自尊心を傷付けるようなことを言ってはならない。

拙著『リーダーの暗示学』で書いたことですが、自尊心の処理はなかなか気を使いますね。

自尊心とは、やさしくいえば、自分で自分をえらいと思うことである。したがって、自尊心もりっぱな観念である。

もう二昔以上前のことになる。私がスタンフォード大学の経営大学院に留学していたときのことであるが、最初の学期に、私にとって忘れられない事件が起きた。

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必修科目で「組織行動学」というのがあって、学生は数人ごとにグループをつくり、与えられた課題を討議するよう求められた。私の属したグループでは、討議のあと、各人に仕事を割り振り、それぞれが分担してレポートを書いた。

ところが、メンバーのある女性(たしか弁護士の資格を持っている人だった)が、報告書をまとめる段階で、メンバーが書いたレポートを無断で添削してしまったのである。私はつたない英語を直してもらい、かえって有り難いくらいだったが、アメリカ人学生たちはおおいに自尊心を傷つけられたようだ。

スタンフォード大学に入学するアメリカ人は、アメリカの社会ではエリートである。外国人より、よほど入学するのが難しいくらいなのである。だから、彼らは自分を高く認めている。プライドが高く自尊心の塊のような人間なのだ。彼らのような人間を扱うには、特に慎重でなければならない。特に、文章に手を入れたりすると、彼らは人格を傷つけられたように憤慨する。

この事件がきっかけで、グループに亀裂が生じ、この女性を擁護する派と反発する派ができてしまった。私はなんとなく不穏な空気を感じながらも、英語がよくわからないから、一人蚊帳の外という感じであった。

そんな空気の中、あるプロジェクトが始まり、担当教授はグループ・リーダーを選ぶよう学生に指示した。我がグループは、いったいどちらの派から、誰をリーダーに出すのだろうと、私は人ごとのように見ていた。すると、なんと全員の総意で、私がリーダーに指名されたのである。青天の霹靂とはこのことだった。

対立した二つの自尊心が、互いの自尊心を傷つけないように、当たり障りのない人物を選んだのである。これって、まるでどこかの政治団体みたいじゃないか。まったく、世の中、日本人であろうがアメリカ人であろうが、やることは同じなのだとよくわかった。組織行動の授業の中で、これがいちばん勉強になった。

私は教授が何を言っているのか、またクラスメートが何を言っているのかよくわからないまま、否も応もなくリーダーの仕事をさせられた。私はどちらにも属していなかったから、どちらの派もサポートしてくれず、そのうえ下手をするとグループからほうり出されてしまう危険があったから、結構必死だったのである。

こういうグループメンバーの心理を、別の機会にレポートに書いて提出したら、教授からえらく評価された。

コミュニケーションスキル:説得とは何か

人間にはいろいろなタイプがあります。たとえば、学者肌の人。体の特徴は背が高くて長細く見える人が多い。そして、首がニョキッとまっすぐに生えた感じ。

これは上下型1種というタイプ。

このタイプは、何か考えるとき、そもそも論から話に入らないと先に進めません。

たとえば、駅から自分の家に行く地図を描かせると、自分の家が紙からはみだしてしまう。

なぜそんなことが起きるのか。

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それは、駅から描きはじめてるからです。あそこを通って、ここを通ってと描いていくうちに、自分の家が紙におさまりきらなくなってしまうんです。

また、消費税の問題を分析しようとすると、上下型1種は昭和30年代の日本経済から説き起こそうとするかもしれません。

彼らは現在の事象がどんな物事から始まったかということに強い関心を抱くのです。

一方、現実的で経営感覚の鋭い経営者は「そんな昔のことより、今何をすべきか、すぐ答えを出せ。結論を言え」と吠えるでしょう。

こういうのはえらの張った5種タイプです。肩で風を切って歩くような体。

経営者タイプの人に、学者肌の人に対するように一から順々に説きだせば、ただイライラするだけでしょう。

結局、説得とは自分とは異なる感受性をもつ相手の感受性を理解し、相手の感受性からしてメリットがあることを説明する作業といえます。

人間関係の対立とか相性の善し悪しというのも、こういう感受性の違いから生じることが多いといえるでしょう。

ほめることは、コミュニケーションスキルのホームラン王です

ほめる技術ということで、私はいろいろなところでご紹介しています。

この技術がなぜ基本中の基本なのかというと、いろいろな場面で使えるからです。

ふつう、ほめることというのは、相手の気分をよくしたり、元気づけるためのものと思いますよね。

ところが、実際にはものすごく応用が広い。

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端的な例としては、叱るときにも使うんです。

ほめた後にひとつ注意したり忠告したりするのです。

こうすると、叱るときの反作用をぼかすというか、すごく相手にとってこちらの意見を受け入れやすくなります。

難しい説得の場面などでもうまく使うと、劇的な効果をあげます。

ほめることで、相手の自尊心を満たすことができます。

そこで、話しかけると、非常にこちらの話をよく聞いてくれるようになります。

もし、誰かと対立していたら、議論の途中でさりげなく相手をほめてみましょう。

相手が一瞬、おや、というような顔をしたら、これは効いています。

ということで、ほめる技術はコミュニケーションスキルの王様です。

まあ、とにかく欺されたと思って、やってみることですね。

それでも難しいと考える方は、L研リーダースクールの初等人間行動学科を受講してください。

徹底的にサポートします。