レトリックとコミュニケーション

コミュニケーション力をつけたいと思うなら、多少なりとも「言葉」の研究はしないといけないでしょうね。

言語学者のようなわけにはいきませんが、私も素人なりに勉強しています。

レトリックというのも、その過程で学んだことです。これは暗示学とも縁が深い。というのも、レトリックには暗喩とか比喩という、非常にイメージを膨らます手法があって、これが非常に暗示的効果をもたらすのです。

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以下は拙著『リーダーの暗示学』に書いたことです。

レトリック研究の第一人者である中村明の『名文作法』(PHPエディターズ・グループ)に、「表現の深さ」をどう感じるかというアンケート調査の結果が載っていました。

たとえば、「生まれてから死ぬまで」という言い方と、「ゆりかごから墓場まで」という言い方を比べて、どちらが表現に深みを感じるかと尋ねたところ、後者の方が圧倒的に支持されました。

私の考えでは、これは空想と大いに関係があります。「ゆりかごから墓場まで」は直接的な言い方ではありません。そのため、それはどういうことかなのだろうという空想――あるいは推理と読んだ方がいいかもしれません――が働くのではないでしょうか。

ほかにも、おもしろいと思った比較のペアを『名文作法』からいくつか紹介しましょう。

「今年中に結婚したいものです」
「来年の年賀状は連名で出したいものです」

「オリンピックの代表に選ばれた」
「ロンドン行きの切符を手に入れた」

「お宅には金めの物がありませんね」
「お宅は泥棒にねらわれる心配がなくてうらやましいですね」

これらは、いずれも後者の方が、表現が深いと評価されました。たしかにそうでしょう。これらのケースも、後者は間接的であり、聞き手のイメージを誘っています。

もっとも、おもしろい比喩はみんなが使い出すので、だんだん陳腐化していき、あまり新鮮でなくなることもしばしばです。ステレオタイプになってしまうんですね。上のオリンピックの例などはそうかもしれません。

しかし、あまりにも斬新な比喩はどうかということもあります。

たとえば、川端康成の『雪国』では、駒子の唇を「蛭(ヒル)のように美しい」と書いています。オエ-、気味悪り~!

イメージを浮かばせるということが、ある意味コミュニケーションの目的というか本質なのかもしれないと思うことがあります。

みなさんも、相手の脳裏にイメージが浮かぶような言葉を使えるように研究していきましょう。