相手の気分の流れに乗るコミュニケーション

突然世阿弥の話を持ち出しますが、世阿弥はご存知のように、能の中興の祖。足利義満のころの人です。

この世阿弥には演技論をまとめた資料が多々ありますが、『花鏡』の「序破急」などはよく知られておりますね。

これは、能の構成と演出、曲の性格を支配する理念です。

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たとえば、一日の能全体の構成は、このように考えます。

序の能は、導入部であり、基本的な作風を見せます。あまり複雑なものにしないで、筋もすっきり展開させます。

続いて破の段階に移ると、基本作風をいくらかこまかい表現へと重点を移し演じます。言い替えると、破では、序の折り目正しい作風を和らげ、それをわかりやすく解説するような意味があります。細部に重点を置き、多彩な技巧をこらして演じられます。この部分は、全体のなかでいちばん長くなります。

演目の最後を結ぶのが急です。急は破の表現をさらに徹底させた極限の表現です。今風に言えば、クライマックスのこと。急では、激しい動作をたたみかけ、速度の速い舞で観客を驚かせます。

この理論は実に納得できるものです。それは観客の気分というか、ノリともよく調和しています。序盤からいきなり「急」では、やはりノリが悪いのは明かです。

ところが、実際の世界ではなかなかこのようにいかないことが起きる、と世阿弥は言っています。そこがおもしろい。

当時の能は足利将軍や貴族がスポンサーだったため、大勢の観客がいても、まずは貴人を第一に考えていました。

そこで、問題が生じるのです。

たとえば、もし貴人が会場に早く到着したら、まだ会場が落ち着いていなくても始めなければならなかった。

その場合、観客はまだ定まった席についていないわけです。遅れてくる人もいる。こういう苛酷な状況になるわけです。

このとき演技者は、いつもより動作を派手にして、観客の注意をひきつけ会場を静めるのだそうです。

こういう配慮をして、なおかつ貴人の好みに合った演じ方をしていくのです。

たいへんだ、こりゃ。

しかし、もっと危機的な状況があります。

それは、演目がすでに破や急の段階に達しているとき、貴人がやってくるとき。

上演は急の段階なのに、貴人の心はまだ序なわけです。おまけに、一般客も貴人が入ってきたために、盛り上がっていた気分がさめ、会場全体が妙にしらけた状態になる。

世阿弥はこういう状態のときの対処策をあれこれ述べてはいますが、いろいろ工夫しても成果をあげるのは難しいと言っています。

このような気分というのは、プレゼンテーションや話し合いの席の流れなどでも十分参考になるでしょう。

相手の頭がまだ全速力で動いていないときに、こちらが全速力で話しかけてもなかなか通じません。その逆もありでしょうね。