論理的に話すことがどれだけ意味があるのか?

論理的に説得するという言葉を、よく聞きます。ロジカルシンキングというのでしょうか、そういう類の本が書店でもよく見られます。それで商売している人も大勢います。しかし、世間で考えるほど、その適用範囲は広くないと私は思っています。

そもそも「論理的に説得する」という言葉に、私はものすごく違和感を感じます。

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この場合の「論理的」というのは理路整然と、ということでしょう。しかし、理路整然と話されて納得する人がどれくらいいることやら。

その場ではそうだなと思うかも知れませんが、「俺はそんな負け犬のようなやり方はいやだ」とか「私はそんなんいやや、好きじゃない」という人が必ず出てきます。

いま去就が心配されている大リーガーの松井秀喜選手ですが、彼が高校生で甲子園に出たときのエピソードです。

明徳義塾高校の監督は松井と対戦する投手に「全部敬遠しろ」と命じました。結局、松井は5打席全て敬遠でした。

これにはスポーツ新聞が騒ぎました。世間も大騒ぎでした。

「高校生らしくない」「なぜ勝負しない」

そんなとき、私の仕事仲間のAさん、いかにも2種的な人でしたが、私に話しかけてきました。

「ルールどおりやって、何が悪いんだよ。世間は本当に感情的だよ」

鼻でせせら笑っておりました。

2種のAさんにとってみれば、明徳の監督がルールどおりやっていて非難されるのが、腹立たしかったようです。また、感情的に騒ぐ世間がバカに見えたのかもしれません。

あんまり、しつこく言うので、私はついからかってやりたくなりました。これが私の悪い癖。

「世間は、たしかに感情的だ。でも、これからはますます感情的な世の中になるよ、きっと。だから、そういう人たちを敵にする人は、生きていくのは大変だろうね。世の中から袋叩きにされて、相手にされなくなるかもしれないよ、気の毒に」

そう言ったら、この人は急に顔が青ざめ、目が泳ぎだしました。

逆説的な言い方ですが、人はみな合理的なのです。その行動基準においてみな合理的に行動します。

そのことを理解してコミュニケーションをすることが、本当の意味での「論理的に話す」というだと私は思います。

 

詰まるところ、感受性の勉強をしなさい、ということですね。