二つの指導法から考えるリーダー育成1

宮大工の教育法はちょっと変わっています。

教育方針で特徴的なのは、弟子が自ら創意工夫する態度を促すこと、そして教えすぎないことでした。

西岡棟梁はわかりやすく教えるようなことは、決してしない人でした。弟子の様子を見ながら、遠回しに弟子の考えや創造力がわくようなことをポツンと言うだけなのです。そのときはわからないけれど、あとで「ああ、そういうことだったのか」とわかる教え方をしていました。

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小川三夫氏が弟子入りした直後のこと。棟梁は彼の道具をちょっと見て、ポンと捨ててしまいました。道具を見れば、どれだけの腕なのか、すぐわかるからです。そのあと、棟梁は「納屋を掃除しておき」とだけ言いました。

そこで、小川氏が納屋にいってみると、そこには棟梁の道具が置いてあり、鉋屑(かんなくず)がそばに残っていました。棟梁は、「ちゃんと研いである鉋と、その鉋で削った鉋屑があるから、掃除しながらそれをよく見ろ。そうすれば、おまえの鉋があかんという意味がわかるはずだ」と言いたかったのです。

西岡棟梁のこういった指導法は随所に見られました。たとえば、鉋のかけ方を棟梁が弟子に教えるときは、「こうやるんだ」と一度見せるだけです。向こうが透けて見えるほどの薄い鉋屑が出てきますが、あとはそれを渡すだけで、ヒントは一切なし。弟子は鉋屑を見ながら、同じものができるまでひたすら研究するしかありません。

ですから、弟子が「これはどうやるのですか」と質問しても、簡単に答えてくれません。西岡棟梁は「君はどう思うのや」と必ず聞きかえします。これでは弟子はうかつに質問できません。自分の意見が準備ができていないと、怖くて質問できないわけです。

なぜこういう指導方法を西岡棟梁が採用するかといえば、自分で考え、自分の体で覚えるしか、仕事は身につかないと知っているからです。木は生き物ですから、ひとつひとつ違う。でも、いつでも親方がそばにはいられません。弟子は、その場その場で、勘で処理できるようにならなけらばなりません。そのためには――

「弟子になろうという者は、大工になろうという気は初めからある。しかし、教えてもらおうという気持ちを捨てるようにならないと、ものは伝わらない(21)」

もっとも、西岡棟梁の真意がわかるまでは、小川さんもずいぶん意地悪な師匠だと思っていたそうです。

引用:佐藤直曉著『リーダー感覚』)解説と立読み

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明日は、これと対極にある教育法をご紹介しましょう。