コミュニケーションを拒否する行動

コミュニケーションを拒否しようとする行動はいろいろあります。

そういう行動をする人には、たいてい別の理由が隠されていると見た方がいいと思います。

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たとえば、こちらが言ったことに対して、猛然と激しく反論する人。

これには、相手の弱みが隠されています。

大きな声で相手の反撃を食い止めたいのです。

ちょうど、ダウンしたボクサーが立ち上がって、猛然と攻撃してくるようなものです。

自分の弱さを隠し、時間稼ぎしているとも言えます。

だいたいは、言われたことがこたえているんです。というか、自分もそうだと内心では認めている。

激しく反発するのとは逆に、ひたすら謝りつづけて、その先の話にのってこない人もいます。

下手に話をしはじめると面倒なことが起きる、と警戒しているのでしょう。

江戸幕府の大老・井伊直弼がそんなことをしていました。

日米修好条約を幕府独自に決めたとき、水戸の一橋慶喜(後の15代将軍)が抗議にやってきた。

そのとき、井伊はひたすら「おっしゃるとおり、恐れ多いことでございます」だけで通したそうです。

これなんかは、あきらかにコミュニケーション拒否。

弁舌の得意な慶喜の土俵に乗らない作戦でしょう。

相手の得意な土俵に乗らないのは、交渉においては重要なことです。

拙著『リーダーの人間行動額』で空海と最澄の有名なケンカを取り上げました。

宗教界や評論家はそれが宗派の優位性を示したいがための論争だと考えています。

しかし、私は別の理由が裏にあって、空海が論争を拒否した(最澄の土俵に乗らない策をうった)と考えています。

興味のある人は、拙著をお読みください。

■参考書籍『リーダーの人間行動学』 

部下の力を発揮させられない、人付き合いが難しい。その根本原因は相手の行動基準を知らないからです。人間をどう見るのか、人をどのようにリードすればよいかを示す教科書としてお読みください。

言葉と態度から気持ちを察する訓練

ボディーランゲージというほどのことはありませんが、ある程度そういうことに敏感でないと、リーダーはよきコミュニケーションがとれないかもしれませんね。

ある小さなコンサートに、友人たちと出かけたときのことです。

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そこでは、非常に珍しい楽器――ハワイかどこかの特殊な木でつくった笛――の演奏がありました。
 
その楽器にたいへん興味をもった私の友人は、演奏が終わるとすぐその人の所に行き、どうしたらその笛を入手できるか聞こうとしました。

そして、あとでインターネットで、連絡を取り合うことにしたそうです。
 
そのやり取りを、遠くから見ていた私は、ああこれは駄目だろうなと思いました。

というのも、相手にそういう雰囲気が全然ないのです。相手が全然乗っていない。

こういうのは誰でもわかると思ったので、「これは駄目だろう」と言うと、隣の人は「エッ、どうしてそんなことがわかるの」。
 
見ればわかるだろうと思っていたのですが、わからない人もいるので意外でした。

案の定、その演奏家に連絡をとったものの、なしのつぶてだったそうです。
 
このときから、相手の気持ちを動きから察する訓練も必要かなと思った次第です。

たとえば、お辞儀の様子とかを観察してみるといいでしょう。

お辞儀だっていろいろありますよ。

親しげに「やあ」と言いながら軽く会釈する人。

非常に丁寧にお辞儀をするが、言葉は慇懃無礼な人。

観察をしばらく続ければ、お辞儀と言葉と気持ちの関係が少しずつわかってきます。

言葉のわりに気持ちが入っていないとか、横柄な態度だとかですね。

そういうことに対する感覚を磨きましょう。これは仕事にも役にたちます。

相手が問題をどう定義しているかでコミュニケーションアプローチを考える

これはコミュニケーション以前の問題といえるかもしれませんが、相手がどのように問題を定義しているかによって、話し合いのアプローチを代えないといけません

これを私は「問題の定義」と呼んでいます。

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たとえば、ある問題が生じていたとして、相手が

  • とりあえず当面の解決でよしと考えているのか、より根本的な問題解決をしようと考えているのか

これは、相手の時間的余裕や経済的余裕ともかかわってきます。貧乏暇なしでは目先のことしか考えられません。

また、問題を

  • 自分のことと深刻に受け止めているか否か

これでもずいぶん違います。当事者意識があるかないかともいえます。

また、

  • こちらを敵と見ているのか、そうでないのかでも違います

敵と見ていないなら、対立があっても交渉が成立しますが、敵と見ているとなると厄介です。

それはこちらの動画でごらんください。