ドラッカーのコミュニケーション論を考える

久しぶりにドラッカーを読み直そうと思いました。そこで思わぬ発見をしました。

ドラッカーがコミュニケーションについて語っているとはまったく予想していなかったのです。ところが、たまたまページをめくったらそれを見つけたのです。

私がドラッカーを読んだのは20代後半から30代前半で、当時は戦略に興味があり、コミュニケーションを扱うつもりはまったくありませんでした。

今回読んでみると、ドラッカーは「コミュニケーションは期待だ」と言っています。

「人は、自分が期待する事柄しか知覚しない」のです。もっと簡単に言えば、人は見たいことしか見ず、聞きたいことしか聞かない。

だから、私は若いころ、ドラッカーのコミュニケーション論は見落としていたということでしょう。

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このことから、相手とコミュニケーションをとるには、相手の期待を察知しないといけないということがわかります。

ドラッカーの言うように、コミュニケーションを成り立たせるには、受け手が何を見聞きしたいと考えているか、把握しておかなければならないのです。

ドラッカーはソクラテスの言葉を引用しています。

人々に何か言うときは、相手の経験に引きつけた中味にするとよい。たとえば相手が大工だったら、大工仕事に関係した比喩を用いるのだ。つまり、受け手の言葉を使わない限りコミュニケーションは成り立たない。しかも、その言葉は経験に根ざしたものでなくてはいけない。言葉の意味を人々に説明するのはムダな試みである。経験にねざしていない言葉は受け止めようがない。

コミュニケーションは、相手を起点にして語りかけなければいけないということです。ところが、上意下達のコミュニケーションには、命令しかありません。このようなことでは、受け手は自発性なくただ反応するにすぎません。

「従業員への手紙」も、従業員が何を知覚できるか、何を知覚の対象としているかをわかっていないかぎり、どれだけ文章がうまくても無意味だということでしょう。

書き手の知覚ではなく、受け手の知覚を土台としない限り、コミュニケーションは成り立ちません。

では、どのようにすればそれができるようになるか。

真っ先に考えるのは「相手の言葉に耳を傾ける」ことでしょう。しかし、ドラッカーはそれは単なるコミュニケーションの第一歩にすぎないと言います。

「語りかけるよりも耳を傾ける方が、誤解やコミュニケーションの不備が減るわけではない」と、ドラッカーは言っています。

聞くことで、誤解が起きた理由は説明できるかもしれませんが、これだけでは、部下の嗜好や望み、価値観、野心などは明らかにならないのです。

ただ聞くだけでは、相手の理解のための土台が築かれるわけではないわけです。もっと相手のことがわからないといけないとドラッカーは言っています。

ドラッカーは、その対策として「目標管理」をあげています。私はそれでは正直不足だと考えていますが、ともかくそれについて説明しましょう。

つまり、ある目標を共通のテーマとして上司と部下が話し合うとき、同じ現実を違った目で見ていることがお互いわかるというわけです。そして、それをもとに、上司は部下が何を期待しているかを理解できる。

私はこれではまだ難しいと思っています。相手の価値観を理解するには、これだけでは知識不足です。

相手の価値観を知るためには、体癖論に基づく感受性をしっかり学ぶことがたいへん有効だと、ドラッカーを読んであらためて確信した次第です。