事例: ある外資系企業の場合 第2回

前回の第1回はこちら

◆非常手段
こんな状況では、尋常な手段ではすまない。そう考えた若手コンサルタントは、親会社からの依頼状をもっていき、それを見せることにしました。

もっとも、依頼状といっても、それは数行の短いファックスで、幹部たちがどんな考えをもっているか聞いてくれとしか書いてありませんでした。彼らの腹を探れといった露骨な言葉はありませんでした。

コンサルタントとしては、面談相手に会ったとき、その文章のとおりに告げるつもりでしたから、依頼状を見せても別段問題にはならないと判断したようです。

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疑心暗鬼に陥っているはずの相手に、少しでも緊張を与えないように配慮したつもりだったのでしょう。しかし、この話をあとで彼から聞いたとき、私は率直にいって、ずいぶんひどい手を打ったものだなと思いました。また、効果についてもどうかなと疑いました。

◆営業部長との面談
金曜日の午後、若手コンサルタントは新しい営業部長に会うことになりました。営業部長に会うと、コンサルタントは早速例のファックスを見せ、面談の趣旨を説明しはじめました。

営業部長は声が大きくて威勢のいい人物で、体育会系的なノリの感じがする人だったそうです。

面談が始まると、彼は会社の計画を熱く語りはじめました。入社したばかりであるだけに、やる気のあるところを見せたかったのでしょう。それは理解できると、コンサルタントは好感をもって面談を終えたそうです。

ところが、次の週の月曜日の午後、驚くべきことが起きました。営業部長から突然電話がかかってきたのです。

電話の声は相変わらず威勢がよかったそうです。

「おい、どうだ。元気か」

社外の人間に対して、ちょっと失礼な口の聞き方ですが、自分の父親のように年齢が離れている人物だからと、コンサルタントはそれほど気にはしなかったそうです。

「はい。まあ、なんとか……」

コンサルタントはあいまいに答えました。そして、何の用事だろうと思った次の瞬間、唖然とさせられました。営業部長の声の調子が一変したからです。

「例の件、どうなったですかね……」

気弱な性格丸出しで、つぶやくように、そして哀願するように言うのです。

驚いたのはコンサルタントの方でした。彼は驚きをかろうじて押さえ込み、なんとか取り繕いました。

「先週は有り難うございました。今、報告書をまとめているところです」

コンサルタントは「へんなことは書かないから、安心してくれ」というような嘘や気休めは言わなかったそうです。ただ、「熱意はよく伝えるつもりだ」とは言ったとか。

これは嘘ではないのでしょうが、私からすれば多少はリップ・サービスの感がしないでもありません。

それにしても、イヤな仕事だと、若手コンサルタントはまた思ったそうです。営業部長は、週末を悶々と過ごしていたに違いありません。

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■リーダーシップ向上に関する参考書籍

本稿は、佐藤直曉著『リーダー感覚――人を指導する喜び』(鳥影社)の一部です。

本書はL研リーダースクールの通信講座初等科Ⅰのメインテキストです。初等科Ⅰでは、人の心を動かす訓練としてほめる訓練を実践していただきます。この講座は、受講生に技術的アドバイスを行うとともに、受講生の成長を見守っていく実践型プログラムです。

立読みはこちらからどうぞ

事例: ある外資系企業の場合 第1回

今回からしばらくケースを紹介しますので、分析をしてみてください。

◆三つどもえの構図
ある外資系企業の日本子会社では、社長、営業部長、それに工場長の三人の幹部が、会社のなかで張りあっていました。

この会社の組織は、比較的単純でした。都内のビルには、管理部門を統括する社長と、営業部隊を指揮する営業部長が同居しており、また、少し離れた地方都市に工場があって、そこには工場長が独立国家の王のように君臨していました。

社長は几帳面に仕事をこなすタイプで、人間的にはスムーズでよい人間でした。しかし、強いリーダーシップはなく、営業と生産というふたつの機能を統率できませんでした。彼は、本社と日本間の取り次ぎ役的存在にすぎませんでした。

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この会社の営業部隊はひ弱で、親会社の期待に沿うような業績をあげることができませんでした。営業部長は、ユーザーとの間で商品トラブルを起こさないよう、常に気を配っていましたが、これは、この会社というよりも、業界全体の問題でした。

この状態を工場長は遠くから冷ややかに見ていました。彼は常に本社のやり方を批判し、社長や営業部長の能力を疑っていました。彼にとって、愛すべきは工場の従業員であり、守るべきは工場の円滑な稼働だけだったのです。

◆幹部の首実検
営業努力の甲斐もなく業績は改善せず、ついに親会社は日本の子会社の社長を解任することにしました。後釜には、外国人社長をあてることになりました。

ちょうどこのころ、営業部長が辞職し、新しい営業部長が就任してきました。そこで、親会社はあるコンサルタント会社に、新しい営業部長と工場長の能力を評価してほしいと依頼しました。近々来日する新しい外人社長が仕事をしやすいようにと考えたのでしょう。

担当を命じられた若手コンサルタントは弱りました。彼はそれまで二人の幹部とほとんど話をしたことがなかったのです。信頼関係のない話し合いはつらいものです。彼らはコンサルタントを親会社のまわしものとして警戒し、疑心暗鬼の目で見るに違いありません。

そんな彼らが、いったいどんな話をするのでしょう。どうせあたりさわりのないことしか言わないに違いありません。「二、三時間話しただけで、何がわかるというのだ」というのが、そのときの彼の率直な感想でした。

悪いことはまだありました。二人とも、コンサルタントとは二十歳ぐらい年齢が離れていました。なんで自分たちがそんな若造に評価されなければいけないのだと、彼らは思うでしょう。彼らの心中が穏やかでないのは、容易に察しがつきました。

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■リーダーシップ向上に関する参考書籍

本稿は、佐藤直曉著『リーダー感覚――人を指導する喜び』(鳥影社)の一部です。

本書はL研リーダースクールの通信講座初等科Ⅰのメインテキストです。初等科Ⅰでは、人の心を動かす訓練としてほめる訓練を実践していただきます。この講座は、受講生に技術的アドバイスを行うとともに、受講生の成長を見守っていく実践型プログラムです。

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気づきの感覚を高めるためには

リーダーとして大事なのは、「おや!」と思う感覚ではないでしょうか。言い替えれば「気づく」能力とでもいいましょうか。

たとえば、営業であれば、予想外に儲かっている事業を見て気づくということでしょう。

コミュニケーションであれば、相手と話をしていて、「なんかいつもと違う感じだな」とか「いつもと違う顔つきだな」といった類のことです。

銀行員なら、お札を触っていて、「おや、これは偽札か?」と感じることです。

これらの場合は、いずれも「正常」とか「通常」というベースのものがあって、そこからの乖離が問題になるわけです。

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人間行動でも、「このリーダー、ぶれてるな」とか言われることがありますね。これも気づきです。いつもと違う行動をリーダーがとると、そう思われるわけです。

拙著『リーダーの人間行動学』では、異常行動というかたちで人間行動を分析しています。

もちろん、これは精神がおかしくなったという意味ではありません。いつものその人とは思えない行動のことです。「らしくない行動」のことです。そして、そのベースはその人の感受性です。

ところが、私が研究したところ、この「らしくない行動」というのも、実はその人らしい行動なのです。では、なぜ「らしくない」行動に見えるのか。

それは、いろいろな環境条件があって、そのために我々にはその人らしく見えないのです。

そこで感受性分析をしながら環境を分析していきますと、やっぱりその人らしい行動だったんだ、と理解できてきます。

そう思えると、人間の理解が一歩進むんですね。

そのあたりを、私なりに『リーダーの人間行動学』で歴史上の人物を通して考察していますので、よろしかったらお読みください。

たとえば「空海と最澄」のケース、これは内容は少々固いのですが、私としてはかなりの自信作です。

二人は宗教界の巨人で、宗教的な見解の相違で仲違いしたと、一般には思われています。

ところが、私が人間分析をすると、そんな理屈の上での問題と言うよりも、実は人間くさい意見の相違に思えてくるのです。

空海の行動はこのとき異常だったと、司馬遼太郞さんは言っていますが、感受性分析をして考えると、実は空海らしい行動だとわかってきます。

相手がどんなタイプかわかるとコミュニケーションの質が変わる

相手の感受性に応じて話かける――これはかなり高度な人間分析力がないとできないことですが、これができると非常にコミュニケーションが楽になります。

相手の行動の癖が読めるともいえます。相手が見えるというのは、こういう状態でしょうね。

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たとえば、壁にスローガンをべたべた貼り付ける人がいます。

「受験 必勝!」とかですね。

いつぞや、あるテレビ番組で、レスリングのメダリスト浜口京子さんの道場を紹介しておりました。もちろん、オヤジさんのアニマル浜口も一緒。

アニマルさんの道場に行くと、「勝つぞ」といった類の張り紙が、壁にあふれんばかり。

もうベタベタと貼ってあるのです。それはすごいものでしたよ。

それを練習前に一つ一つ声を出して読み上げるのだそうです。この過剰さ。

あるタイプの人は、彼のようにスローガンを書いてそれを忠実に実行していこうとします。

スクワット1日1000回、腕立て伏せ1000回とかの目標をどんどん貼るんです。そして、それを絶対日課として実行していく。

こういう人は決めたことは絶対実行します。その忍耐心たるやすごい。とても他のタイプの人にはできませんね。

もし、このタイプが決めたことを実行できなくなると、それだけで半分死んだようになりますね。それぐらい命がけでやっているとも言えます。

こういう人がいたら、だいたいどのように話をもちかければいいかは、わかっています。

ところが、こういうことをする人が大嫌いというタイプもおります。

「ダサイな。もっと要領よくセンス良くやったらいいのに」

こういうことを感じるのも、感受性です。

ですから、こういう人がいたら、どう対応したらいいかもわかります。

みなさんも、研究してみてくださいね。

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■人間分析に関する参考書籍

佐藤直曉著『リーダーの人間行動学』は、人間の行動基準パターンとその理論を簡単に紹介しながら、応用として、歴史上の人物の行動分析を行っています。歴史上の人物には極めて強い個性をもっている人が多く、そのため特徴がはっきりでやすく、人間分析が比較的容易です。したがって、勉強材料としてとてもよいのです。

扱っている人物は、南極探検家スコット、乃木希典、空海と最澄、ショパンとジョルジュサンドです。 いずれも、極めてユニークな個性の持ち主ですので、特徴がわかりやすく、理解しやすくなっています。

各人物には、それぞれ質問を用意してありますので、読者はそれを考えれば、一層人間分析の意味が理解できるでしょう。

リーダーの人間分析講座,コミュニケーション力をつける-リーダーの人間行動学

立読み

相手の価値観を認める苦しさ

私の大学時代の恩師の川瀬武志先生はGNN教の教え15条を説かれています。

その第13条にこういうのがあります。

『すべての人はそれなりに、合理的であることを認めましょう。相手の価値観を理解し、それなりに認めましょう』

この条文は、私の人間行動学とぴったり一致する条文です。でも、なかなか、ふつうの人はこれができないんですよ。

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相手の価値観を認める前に、自分の価値観で相手を量ってしまう。

私もまったくないとは言えません。

人間行動学を標榜している私でもやはりそうです。

どうしても、嫌いな価値観というのがありますからね。それが相性ということなのでしょうけれど。

イヤだなと思ったときは、しばらくその相手から遠ざかることにしています。しばらくすれば、まあいいか、という気になりますから。

相手の価値観を変更させるのは、よほどのことが起きないと不可能だと思いますね。

できるのは、相手の価値観に沿って説得すること。これはある程度可能ですけれどもね。

リーダーは、相性のよい部下をもつことが大事です。相性がいいという意味は、自分の欠点を補ってくれ、一緒にいると元気になる、やる気が出る、といったことでしょう。

ただし、相性がいいというのは Yesマン とは限らないのです。でも、おうおうにして、人はそこを間違えますね。

「コミュニケーションがうまい」という言葉は、ときどき「おべんちゃらが上手」「世渡りがうまい」という意味で使われることがあります。

真のコミュニケーションとは、結構難しいことかも知れませんね。

一方、部下は上司を選べません。
相性の悪い上司とつきあうことになったら、三つしか道はない。
お友達になる(仲良くなる)か、あきらめるか、出て行くかしかない。

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■リーダーシップ向上に関する参考書籍

佐藤直曉著『リーダー感覚――人を指導する喜び』(鳥影社)はリーダーシップとコミュニケーション能力を実践的につける訓練法を紹介しています。極めて泥臭いが現実的な方法論です。

本書はL研リーダースクールの通信講座初等科Ⅰのメインテキストです。初等科Ⅰでは、人の心を動かす訓練としてほめる訓練を実践していただきます。この講座は、受講生に技術的アドバイスを行うとともに、受講生の成長を見守っていく実践型プログラムです。

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声なき声から人間を見る

私は整体を勉強しているので、人間を見るときずいぶん有利なことがあります。

ある大手企業の戦略立案のコンサルティングを行っていたときのことです。私はサブリーダーとして働いておりました。

その企業の戦略が子会社とどう連動しているか見てほしい、ということになり、我々数人で、子会社を訪れました。

そこで、一日かけて、何人かの幹部と面談しました。

最初は子会社の社長が出てきて、概要を話されました。

そのあと、担当者がひとり1時間か2時間くらいでしょうか、資料をまじえて説明してくれました。

ところが、社長はずっと、インタビューの会議室につきっきりなのです。ずいぶん熱心で親切な人だなと、初めは思いました。
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そうやって昼も過ぎ、3時過ぎたころでしょうか、4人目か5人目の人になりました。

その話を聞いていた私は、午前中の人の話とダブルようなところが出てきたので、何気なくたずねたのです。

「午前中の話との関連はどうなっているのですか」

担当者はへんな顔をしました。「まずいな」というような顔つきです。

すると、今度は付き添っていた社長が、いろいろ説明を始めました。

ところが、この社長が突然喘息のような咳をしだしたのです。咳をゴホン、ゴホン、苦しそうにしながら、一生懸命、我々に説明してくれるのです。

私はどうしたのかなと思いましたが、そのときふと気がつきました。

異常に緊張すると、咳が出る人がいる。こういう人は上胸部にある特徴が表われます。

そう思ったら、では、社長は何を緊張しているのだろうかということが頭によぎりました。

次の瞬間、私にはわかりました。

彼らは親会社からコンサルタントが派遣されると聞いて、あわてて資料をつくったに違いありません。きっと徹夜でもしたのでしょう。

子会社に出向させられた人たちは、親会社の意向にいつもビクビクしているのでしょう。サラリーマンの悲哀でしょうか。

「そうか」

私は心の内で得心しておりました。

私には、社長の咳が、「武士の情け、これ以上聞いてくれるな」と言っているように聞こえました。

私は「ああ、そうですか」と言って、それ以上質問しませんでした。会議はお開きです。

我々の業務とは直接関係ないことだったので、このことは私の腹におさめておきました。

人間分析というと心理分析ということにほとんどなりますが、肉体のことも勉強しておく方が圧倒的に有利です。

指導の常識が破れるとき

たとえば、世間では、人と比較するのはよくないとされています。

しかし、人と比較しないと力が出ない人がおります。

問題は、このような人はライバルを憎むようになることです。

そこで、このタイプには、歴史上の偉人と張り合うようにさせる。

「松下幸之助はもっと苦労してがんばったぞ」などと言うと、本気で努力します。

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ドラッカーのコミュニケーション論

ドラッカーによると、意思の疎通が効果的に行われるためには、「情報」と「意味」の二つが必要なのだそうです。――『新しい現実』(ダイヤモンド社、376頁)より

さらに言うと、意味が存在するためには、「通じ合い」がなければならないと、ドラッカーさんは言っています。

その通じ合いには、「解釈の能力が必要である」とも言っています。

ドラッカーさんは、「解釈の能力」とは、こういうことなんだと言っています。

「『東京の連中の考え方を知っているから、このメッセージの意味がわかる』、あるいは『ロンドンの連中の』とか『北京の連中』と言い換えなければならない」

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「『連中の考え方を知っている』ことが、『情報』を『意思の疎通』に転換する触媒になる」とこうドラッカーさんは言うわけです。

要するに相手のことがわからんと、つまり人間がわからんと意思疎通できないということ。私がいつも言っていることと、たいして違いません。

たとえばですね、「公」の世界に住んでいる人、つまり役人の「考え方」について触れてみましょう。

この人たちは「誰からも愛されたい」という願望が特に強いのです。あるいは、世間から非難されることが大嫌いだ、と言ってもいいでしょう。

だから、マスコミに悪い記事が出るとすごくナーバスになります。いつも世間の評判を気にしているのです。

それから、役人は責任をとるのを嫌がりますよね。たとえ前任者のミスでもそうですよね。公共事業の失敗なんかでも、役人は責任取りませんから。それが彼らの処世術と大いにかかわっているのでしょう。

それはそれでもいいのですが、ただそういう考え方が基本的に合わない分野があります。それは研究開発の部分です。

これは失敗の確率がかなり高い。数字はわかりませんが、千三つ(千に三つの成功)くらい低いはずです。

ところが、役所はそれだと困るわけです。税金の無駄使いだと言われるのが怖くてしかたない。そこで、研究開発で、失敗しにくいテーマを選ぶ。

つまり、二番煎じ、三番煎じとか、ちょっとした改良ですね。あるいは、うまく成功しなくても、なんとか格好つけられるもの、なにかバイプロダクトができて格好だけつけられるもの、ですね。

ということですから、役所が研究開発に参加してあまりうまくいかないだろうなと思います。画期的なものがうまれにくいということです。

もうひとつ役人の特性は、自分の領域以外に関心をもたないこと。自分のところさえよければ、あとは知らない、口をさしはさまない。そのため、部分最適化はできても、全体最適化ができない。

消費税増税の財務省の態度などはまさにこれです。

原発再稼働に対する経産省や財務省の態度もこれです。自分の省にどれだけメリットがあるかということで、行動が決まってしまう。

言葉に頼るコミュニケーションの弊害

ある人が、対人コミュニケーションの講座に参加して、人に好印象を与える話し方やしぐさ等を学びました。

ところが、よく考えてみたら、もしかして職場の同僚や友人も対人用のしゃべり方をしているのではないか。そう思ったら、疑心暗鬼になったそうです。

これについては、いろいろな対策が考えられます。このブログはリーダーが対象ですので、この人がリーダーだったらという仮定ですが、まずリーダーの立場をしっかり保たないといけません。

リーダーとして、何のためにコミュニケーションするか、ということです。言うまでもなく、部下の育成、仕事のスムーズな進展といったことでしょう。そういう立場をしっかりもたないと、こういうことになりますね。

リーダーの立場を保つことについては、別の日に扱いましょう。

さて、もうひとつ考えるべきは、言葉に頼る弊害です。

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人間はどうしても言葉を信じすぎてしまいます。

それを補う方法を考えないといけません。

さもなければ、私たちはいつも政治家に欺されてしまいます。仙石とか枝野とかにね。

ここで、注目すべきは異常行動についてです。異常行動というのは、常ならぬ行動という意味であり、病的な意味ではありません。

拙著『リーダーの暗示学』から題材をとりました。

ある外資系の製薬会社にプレゼンテーションを行なったとき、私は「(輸入)薬の値段を決めるとき、円・ドル換算価格を円安方向に役所が決めたのはラッキーだった」と言ったのである。

ところが、プレゼンテーションで私の言葉を聞いていた担当者からあとで呼び出され、えらく怒られた。

「薬の値段がわが社に有利になるように、自分は役所と交渉しているのだ。その結果、円安方向に決まったのだ。それをラッキーとは何事だ」

たしかに言われてみれば、そういう努力が陰でなされていたことを知らなかった自分は未熟であった。そういう意味では、これはよい勉強になった。

しかし、彼の行為は、私にまた別の推理をさせた。もし、社内で自分の仕事が十分に理解されていると信じている人間ならば、たとえ「ラッキーだった」と言われても、「社内の事情をよく知らない外部の若造の言うことだ」と、鼻であしらう程度のことだったのではないか。

彼のひどい怒り様は、冷静になって考えてみると少し異常だった。この会社は外資系の会社であったから、日本企業に比べ個人業績の評価が厳しかったのかもしれない。今でこそ日本企業も能力主義になっているが、昔の外資系は厳しかったのである。社内における彼の微妙な立場を、私は垣間見たような気がした。

要するに、常ならぬ行動から相手の真意を見抜くことです。日ごろからそういう感覚を鋭く磨くように意識することですね。

L研でコミュニケーションの勉強をすると人間力がつく

コミュニケーションを勉強したって、ふつうは人間力はつかないでしょう。人とスムーズに付き合えるようにはなるでしょうけどね。

L研リーダースクールの研修コンセプトは、まず人間を見る力をつけること。

そのためには、人間の行動基準をきちんと把握しないといけません。

野口晴哉の体癖論では、行動基準は大雑把にいって10種類あるとされています。

これを頭に入れて、しかもある程度的確に当てられるようになると、人間がかなり見えてきます。

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プロとアマの違いはなんだかわかりますか?

それはどれだけ細かい質の違いを見分けられるか、ということ

テレビで囲碁や将棋の番組を見ていると、解説者があれこれ言います。

強い人が解説者になると、「あ、この手はおかしい」とか言って、すぐ「形勢が傾いた」などと言ってくれます

ところが、ふつうに強い棋士が解説すると、「うーん、まだ、わかりません」となる

プロの間でもそうなんですから、いかにトップレベルの人は質の違いを見極める目がすごいか、ということですね。

人間を見る目も同じでしょう

同じように話していても、関知する情報が全然違うはずです

とにかく、体癖論を学ぶと人間の違いがわかり、いろいろな場面で応用がきくようになります。

コミュニケーションのために、これを使うのも有効なことはもちろんです。

相手の志向がわかりますから、それを先回りしてコミュニケーションを構築していけばいいからです。

しかし、これは技術的な側面です。

いろいろな人間がいるのがわかるようになると、比較的腹が立ちにくくなります。

「この男ならこういう行動をとるのが当然だな」と思えるようになるからです。

もちろん、腹が立たないことなどありえませんが、まあいくらかは精神衛生上よくなるでしょう。

いちばんの効果は、人間が一人一人違うのだ、ということがわかること。

多くの間違いは、十把一絡げに人間を扱おうとすることにあります。

医学や保健の世界でもそうなんですから困ったものです。

食事をうんととらないといけない人(消化吸収力の弱い人)と食事が少しですむ人(消化吸収のよい人)がいるわけです。

それを、一律に扱う栄養学は、本当はあまり役に立たないはずなんですよ。でも、実際は一日何カロリーとらないといけないとか言いますね。

これはあくまで一例ですが、教育に於いても、スポーツにおいても、一人ひとり細かい目で見ることができるようになることは、指導者にとってとてもよいことです。