言葉に頼るコミュニケーションの弊害

ある人が、対人コミュニケーションの講座に参加して、人に好印象を与える話し方やしぐさ等を学びました。

ところが、よく考えてみたら、もしかして職場の同僚や友人も対人用のしゃべり方をしているのではないか。そう思ったら、疑心暗鬼になったそうです。

これについては、いろいろな対策が考えられます。このブログはリーダーが対象ですので、この人がリーダーだったらという仮定ですが、まずリーダーの立場をしっかり保たないといけません。

リーダーとして、何のためにコミュニケーションするか、ということです。言うまでもなく、部下の育成、仕事のスムーズな進展といったことでしょう。そういう立場をしっかりもたないと、こういうことになりますね。

リーダーの立場を保つことについては、別の日に扱いましょう。

さて、もうひとつ考えるべきは、言葉に頼る弊害です。

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人間はどうしても言葉を信じすぎてしまいます。

それを補う方法を考えないといけません。

さもなければ、私たちはいつも政治家に欺されてしまいます。仙石とか枝野とかにね。

ここで、注目すべきは異常行動についてです。異常行動というのは、常ならぬ行動という意味であり、病的な意味ではありません。

拙著『リーダーの暗示学』から題材をとりました。

ある外資系の製薬会社にプレゼンテーションを行なったとき、私は「(輸入)薬の値段を決めるとき、円・ドル換算価格を円安方向に役所が決めたのはラッキーだった」と言ったのである。

ところが、プレゼンテーションで私の言葉を聞いていた担当者からあとで呼び出され、えらく怒られた。

「薬の値段がわが社に有利になるように、自分は役所と交渉しているのだ。その結果、円安方向に決まったのだ。それをラッキーとは何事だ」

たしかに言われてみれば、そういう努力が陰でなされていたことを知らなかった自分は未熟であった。そういう意味では、これはよい勉強になった。

しかし、彼の行為は、私にまた別の推理をさせた。もし、社内で自分の仕事が十分に理解されていると信じている人間ならば、たとえ「ラッキーだった」と言われても、「社内の事情をよく知らない外部の若造の言うことだ」と、鼻であしらう程度のことだったのではないか。

彼のひどい怒り様は、冷静になって考えてみると少し異常だった。この会社は外資系の会社であったから、日本企業に比べ個人業績の評価が厳しかったのかもしれない。今でこそ日本企業も能力主義になっているが、昔の外資系は厳しかったのである。社内における彼の微妙な立場を、私は垣間見たような気がした。

要するに、常ならぬ行動から相手の真意を見抜くことです。日ごろからそういう感覚を鋭く磨くように意識することですね。